楽器のピッチについて2

17-18世紀ドイツのピッチ事情
常に芸術の発信地であったイタリアとフランスの両国の影響をうけて当時、文化的後進国だったドイツでは両国の影響を多分に受けていました。国内は多数の領邦国家で分断された集合体の様な形態をしていました。

イタリア、フランスの影響を受けていた事、そしてドイツ国内から新しいルター派が排出する新しい混合様式が現れ3つのピッチが存在していました。混合様式の生み出した純粋培養の音楽家を代表するひとりはJ.S.バッハなどでした。

第1にイタリアの影響を受けた地域の教会備え付けのオルガン
北イタリアのバイオリンと同じ466-450Hzのピッチでした。

第2にベルサイユと同じ低めのピッチ390-405Hz
フランスの影響を受けていた領主の元で使われていました。

第3に上記両者の中間のピッチ410-420Hzが現れ
1720年以降次第にヨーロッパ全土はこのピッチで標準化して行きます。
その理由は第3のピッチを提唱する音楽家が同時時代を牽引していた事によると思います。

この18世紀標準とされた現代よりも半音低いピッチは音の高さというよりも、そのピッチで楽器をチューニングする事による楽器の反応やアーテュキレーションが良しとされた事が主な理由とされています。バイオリンは当初460Hz付近で設計された物を全音下げてチューニングする事によって、当時音楽に求められていた大きな音で鳴る楽器ではなく弱音を美しくニアンス豊かに歌い上げる楽器に近づけたかっのでは無いかと思います。

もうちょっと、つづく・・

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